災害でなくなられた方のご冥福をお祈り致します。
今は京都に帰ってきていますが、
2011年3月11日ごましおは東京(秋葉原)にいました。
福島からは軽く200km離れていましたが
「ビルが折れるのではないか?」と思えるぐらいの
大きくそして長い揺れの中にいました。
ビル倒壊はしなかったのですが、首都圏は麻痺状態でしたので
当日、自宅のある千葉県まで歩いて帰りました。
同僚を幕張まで車で送り、延々続く渋滞の中明け方に帰宅しました。
翌日には、食料品がスーパーから姿を消し、
浄水場から放射性物質が検出されたと分かると、
今度は水が姿を消しました。
マスコミは、本当に欲しい情報には殆ど触れず、
「ぽぽぽぽーん」と「子宮頸がん」というキーワードが
今でも記憶に残っていますが、何の意味があったのか
逆に線量やホットスポットなどのどうにもならないことを
声高に宣伝して煽っていましたね。
安定ヨウ素剤やガウガーカウンターは
よく売れたみたいですけど
「万が一の際に我々平民は逃げられないのですよ」
という事をよく理解した年でもありました。
311で必ず登場するのが原子力発電所です。
「福島第一事故の対応に最大81兆円 シンクタンクが試算」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190309-00000074-asahi-soci
こんな記事が出ていました。
今までに国内全ての原発が生み出した価値と比べて、
事故対応の損出が上回っているような気がします。
それ以上に、
原発を運営するために熟練の一流エンジニアを何人使って、
その人たちに今何をさせているのか?
事故対応のために、日々命がけの作業をする
日本一責任感の強い「スーパーヒーロー」達を
どれだけ投入して、何をさせているのか?
それはいまだに終わりが見えていない。
こういうのを「負債」というのでしょうね。
そして、国民はこの時期に「脱原発」を誓ったんですよね。
ただそれは、一般の国民にとっては
「(誰かが私の知らないところで)原発をやめさせて、
(誰かが私の知らないところで)代替のエネルギーを作らせる。
そういう方向には賛成だ!(さっさと誰かにやらせろ!!)」
という感覚であったのだろうと思います。
今周囲で感じるのは「再エネ・太陽光それじゃない感」ですね。
そのような状態ではありますが、再エネ復権をめざして
身近なところからコツコツと進めて行きたいと思います。
第3発電所施工に向けて
予定がずれていますが、なんとか今回は連絡を密にしながら進めています。
====お知らせ====
再生可能エネルギーで災害時に安心を届けたい。
《募集》いっしょにやりませんか?あなたの太陽光発電所を災害時の非常用電源設備に!!
もれなく動画をチェックできます。
チャンネル登録はこちらから
============
物件購入検討時に絶対やっておいて欲しい最重要な3ポイント
============